予防医学研究所ニュースレター
2011.4.28

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皆さんお元気ですか。今回もまたベニャミンさんの東日本大震災の被災者を支援の様子についてお話しいたします。

みんなと協力して支援活動をする

東日本大震災が発生してから1ヵ月後にあたる、4月9日から11日にかけて11回目の支援活動をしました。岩沼に行く数日前に、ベニャミンから電話がありました。

「アキはマニュアル車を運転することができるか」
―「30年前の日本の車はほとんどマニュアルだったから出来るよ」
「では土曜日の夜、マニュアルのトラックを岩沼まで運転してくれるか」
―「いいけど、どうして」
「関西の友達がトラックを寄付してくれたので、それを岩沼の避難所に寄付するんだ」
―「わかった。じゃあ土曜日の夜行くよ」

東北自動車縦貫道を北に向け走る

4月9日の夜11時ごろ東京を出発して、高速道路を北に向け走りはじめました。ベニャミンは武藤さんと一緒に愛車のバンに荷物を満載して走っています。今回は、ベニャミンの活動を聞いた知り合いのユダヤ人が、トラックいっぱいの衣類を積んで先に行っているとのことでした。

いつもは数人で交代しながら運転していくのですが、今回は1人なので睡魔と闘いながら走り、朝4時に岩沼の武藤さんの家に着きました。

ダウンジャケットを着たまま仮眠していると6時に起こされました。避難所にいる方は、朝早くから家を片付けにいかれるので、ゆっくりしていられません。

避難所で服を配る

6時半ごろ避難所に着き、ベニャミンの知人がトラックに積んできた服を降ろし始めました。避難所の入り口の前にダンボールを置いて配り始めると、あっという間に黒山の人だかりができました。

ベニャミンの友人は、会社やユダヤ教の関係者から寄付を募り、200万円分の衣類と電子レンジなどを持って来ていて、衣類は、下着が2500枚、靴下1000枚、靴200足、片付けに使うための軍手などがありました。

ベニャミンの知人に「どうして自分で買って自分で持って来たのですか」とたずねると「支援物資を必要としている人に、必要な物を届けたいと思った。そこでベニャミンに話を聞いて、岩沼ならそれができると思ったから」と言われます。

その日は避難所に560人ほどの方がいらっしゃいましたが、靴は人気であっという間になくなってしまいました。

人の喜ぶ顔に癒される

30分ほど経ったとき、年配のカップルが手話でコミュニケーションをしているのが目に留まりました。どうやら遅れて来て欲しいものが見つからないようです。
そのとき、トラックの荷台に寄付してもらった服が積んであることを思い出し、そのカップルをトラックにお連れしました。荷台に積んであるダンボールを開けると、スーツや、おしゃれなブラウスが入っていて、そのカップルに合いそうな服を出して、一枚ずつ試着してもらいました。
結局ご主人はスーツ、コート、シャツ。奥さんはスーツ、スカート、コート、ブラウスを数着ずつ選ばれ、ベニャミンが来ると何度も頭を下げ、お礼の気持ちを伝えていました。

カップルが帰った後、ベニャミンが「アキ、あなたはいいことをした。あのカップルはしゃべれないから他の人より疎外感がある。でもアキが二人のために荷物を開けて、付きっ切りで選んであげたことで、自分たちのことを考えてくれる人がいることがわかった」と言うので、「目の前の人が喜ぶ顔を見るとこちらが癒されるよねえ」と答えました。

トラックを寄付する

皆さんに服が行き渡った後で避難所にトラックを寄付しました。避難所の皆さんは、まさかトラックを寄付してもらえるとは思っていなかったらしく、「本当にいいんですか」と言いながら何回もお礼を言われます。

するとベニャミンは「このトラックの車検は来月で切れるので、車検代もこちらで出します」と言うので、私と武藤さんは顔を見合わせてしまいました。彼は生活費をぎりぎりで回しているので、自分の車は任意保険に入るお金がなくて入っていません。ですから、そのトラックの車検代があれば、2年間は任意保険に入れます。

しかしベニャミンは、「彼らは困っているので、車検代を出してあげれば後のことを心配せずに使える。寄付するときは相手に負担をかけてはいけない」と言うので、何も言えなくなってしまいました・・・。

焼き芋屋さんが再度来てくれた理由

また前回好評だったので、東京から焼き芋屋さんのトラックをチャーターして、また避難所に来てもらうことにしました。

焼き芋屋さんは「一番始めにベニャミンから、岩沼に行ってくれと言われたときは冗談だと思った。でも、前回避難所で焼き芋をしたときに、焼き芋を食べて泣いているおばあさんがいた。そんなこと今まで体験したことがなかった。ですから、次回呼ばれたらぜひ行こうと思っていた。また、ベニャミンさんが買ってきた芋は、いつも使っている芋の3倍もする最高級の芋なので、冷えてもおいしいのですよ」と言われていました。

被災者の家を回って食料を配る

午後になるとベニャミンが、津波の被害を受けて家を片付けている人のところに行って食料を配ってこようと言います。そこで、海岸から2キロほどの二ノ倉地区に行くことにしました。この地域では、泥だらけになった荷物を外に出して掃除をしている人がたくさんいました。

ベニャミンは、ケース入りのペットボトルの水とお菓子を持って、一軒ずつ渡していきます。避難所で顔見知りになっている人もいて、ご苦労様と向こうから声をかけてきました。

ある家を訪ねると、避難所で今朝世話役をしてくれた方が、知り合いの家の片付けを手伝っていました。ベニャミンを見ると喜んでハグしながら、仲間を呼んで紹介しています。

ベニャミンも気をよくして、車の中からワインを持ってきて皆さんに振舞い始めました。すると、「昼間からワインなんか飲んだら仕事にならねえ」と言いながら、酔ってもいないのにわざとよろけてみせる人もいて皆さん爆笑していました。

ほんの数分ですが、忙中閑ありで楽しい時間を過ごしました。避難所で生活されている方も、ご近所さんが片付けをするときには、皆さん総出で手伝いに来ていました。家を流されてしまった人々が、笑いながら手伝っているのを見て、皆さん強いなあと思いました。

亘理町の避難所に行く

夕方には市民会館の避難所に戻って焼き芋を続けました。避難所の夕食は6時に始まり、7時過ぎになると人通りが少なくなってきました。今日はあまり人が来ないので終わりにしようかと話していると、避難所の方が「津波の被害は岩沼より隣町の亘理(わたり)町、山元町のほうがひどい」と話してくれました。
そのとき、焼き芋が30本ほど残っていたので、アポなしで亘理の避難所に行くことにしました。

国道六号線を南下して亘理町に入り、逢隈(おおくま)中学校の避難所に夜の八時頃着きました。焼き芋の車を見ると、子供達が「焼き芋だ、焼き芋だ」と口々に叫びながら走って来ます。持って来た30本はすぐに売り切れ、そこにいらした方全員には配れませんでした。しかし、これから新たに焼くと一時間はかかります。

その日は、ダウンジャケットを着ていても寒さが身にしみたので、寒空の下で1時間も待たせては申し訳ないと思い「また明日来ます」と伝えると、皆さん「せっかく来てくれたのだから1時間ぐらい待ちます。私たちは寒さには慣れていますから大丈夫です」と言われるのであと10キロ焼くことにしました。

避難所の皆さんとの交流

芋が焼けるまで、避難所の皆さんがいろいろ話をしてくれました。高校生の子が、大きな津波がきたので屋根の上に逃げた。すると周りが海のようになってしまい、自衛隊のヘリコプターにつりあげて助けてもらったと話してくれました。
皆さん明るくて、復興していくんだという気概が伝わって来ます。「1時間も待たせてすみません」と詫びると、「とんでもない、わざわざ東京から来てくれたんだから、寒さなんかたいしたことありません。来てくれて本当にありがとう」と言われました。

「この避難所では、食料や物資は十分あるのですか」と聞くと、「食事は自衛隊が炊き出しをしてくれて、毎日ご飯とみそ汁が出てくる、支援物資は最近ようやく届きはじめた」とのこと。
そのとき体の大きい高校生が「僕は体が大きいので支援物資には合うサイズがなくて着替えがない」と言います。今朝配った服のあまりに、大きなサイズの下着があったことを思い出し、明日の朝持ってきてあげると伝えると「やったー」と喜んでいました。

武藤さんの家に帰り、10畳間に山のように積まれている支援物資の中から、先ほどの高校生に合いそうな服を探しはじめました。若い人向けの服がたくさん入っているダンボールが見つかり、避難所の高校生達の顔を思い浮かべながら服を選びました。こういうときは何かわくわくするものです。
これらの服は、ナショナル麻布に買い物にいらしたお客さんが寄付してくれたものですが、それを被災者の人に渡す現場に立ち会うと、小さな善意がどれだけ被災した人の力づけになるのかを実感しました。

朝の沐浴

その日は12時頃寝て、朝の4時半に起こされました。前日、2時間しか寝てないのでゆっくり寝ていたかったのですが、沐浴に行こうといいます。彼は戒律があるので毎日沐浴とお祈りをするのですが、被災地ではやることがたくさんあるので、睡眠時間を削ってやることになります。

沐浴は自然の水でやるというルールがあって、海か川か温泉か雨水でしかできません。岩沼は海が近いのですが、いつ津波波警報が出るかわからず、川も津波で逆流すると危険です。そこで車で30分ほどの蔵王の近くの温泉に行くとのことです。
そこの銭湯は朝5時からやっているので、避難所の人が出かける前に帰ってこられるから問題ない、というので仕方なく付き合うことにしました。

銭湯に着いてお風呂に入ると、ベニャミンは頭のてっぺんまで潜っています。「銭湯で頭のてっぺんまで潜るのはルール違反だよ」と言うと「でもそれは仕方ないんだよ」と言って、沐浴の意味を話してくれました。

「沐浴をする理由は、今日一日をフレッシュな気持ちで生きるためにやるんだ」
―「でも、なぜ頭のてっぺんまでお湯につかるの」
「生まれる前まで、お母さんのお腹の中で羊水に包まれていて、そこから生まれたわけでしょう。沐浴のときも羊水のように全身を水で包み、今日一日を新たに生まれ変わったような気持ちで生きるんだ」とのことでした。

気持ちは通じる

お風呂から出ると番台のお姉さんが「この人はどこから来たの」と尋ねてくるので、「イスラエルから来た牧師さんで、地震後10回も東京から物資を運んでいるんですよ」と言いました。すると「ありがとうね」と言って拝むように手を合わせ、あめを手のひら一杯にとってベニャミンに差し出してくれました。

ユダヤ教の戒律では、男性は妻以外の女性には触れてはならないというルールがあります。ですからベニャミンは女性とは握手をしません。
昨夜は、武藤さんの家に5人ほど泊まっていたのですが、東京から服を持ってきたグループの中に女性が1人いました。すると「ユダヤ教の戒律では、妻がいないときに他の女性と同じ屋根の下で寝ることはできない」と言って寒いのに車の中で寝ていました。

このケースは微妙だけど、どうするのかなあと思って見ていると、何のためらいもなくあめをもらっていました。受け取ってもいいのと聞くのは、揚げ足を取るような感じがしたので聞きませんでしたが、人の真心は信条を超えて通じるようです。

子供達との約束した服を届ける

沐浴が終わり、昨晩、亘理(わたり)の避難所で、高校生たちと約束した服を届けに行きました。すると焼き芋がとてもよかったようで、また来てほしそうです。そこで、次の日に焼き芋をしに行くことにしました。

私たちは今日東京に帰るので、地元の菊池さんという方が役場と話をつけてくれ、焼き芋屋さんを手伝ってくれることになりました。
翌日の亘理町の避難所での焼き芋は好評で、夜の九時半まで人が絶えることはありませんでした。

今回のレポートはここで終わりです。次回はこのシリーズの最終回になります。

お知らせ

大震災を人生のターニングポイントとしてとらえるセミナー

日時:5月3日(火)「気づきと行動」
    5月4日(水)「花とのコミュニケーション」
    5月5日(木)「愛の力」
    いずれも10:30-17:00
場所:国立オリンピック記念青少年総合センター
お問合、ご予約:予防医学研究所03-3831-0230又はinfo@yobou.org
詳しい内容はhttp://www.yobou.org/をご覧下さい

ジェネシスアートワークショップ(直観でアートを描くクラス)

このワークショップでは、シンクロニシティーを視覚的に記録することを学びます。ご存知のように、みなさんはシンクロニシティーについて話したり、文章化したりすることができます。しかし、何かが起こるその神秘的な瞬間に先立って、そのできごとを絵に表すというアプローチを、これまで想像したことがあったでしょうか。ワークショップを通して、これまで偶然の一致と考えてきたような、出来事に対する見方が変わるでしょう。

私たちは、何の期待も抱いていないときに、物事が類似したタイミングで起きたり、繰り返し起きたり、まったく同じことが起きたりすると、わくわくした気持ちになります。このような体験を意味のあるものとするには、時間をかけ、今この瞬間に起きたことについてじっくり考える必要があります。シンクロニシティーの体験を絵で表現し、その意味を見つめることは、単に楽しいだけでなく、私たちの魂の成長にもつながります。
5月、6月のスケジュールが決まりました。

詳しくはhttp://www.genesiscards.com/をご覧下さい。

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