予防医学研究所ニュースレター
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皆さんお元気ですか。今回もまたベニャミンさんの東日本大震災の被災者を支援の様子についてお話しいたします。

被害の大きかった山元町

亘理町の避難所を後にして、山元町に向けて出発しました。そこで問題が一つありました。それは、山元町の避難所で焼き芋をやるのに、まだ役場の許可をもらっていなかったのです。被災地で支援活動をするときは、行政の許可が必要です。そこで、どうしたらいいかなあと考えていると、岩沼で焼き芋を手伝ってくれた友人が、山元町の避難所で餅つきのボランティアをしてきたことを思い出しました。

さっそく電話してみると、仲間の一人が山元町出身で避難所に10日ほどいていたと言われます。その方の連絡先を聞き、すぐに電話かけてみると快く引き受けてくれ、すぐに役場の許可をとってくれました。

物々しい町役場

国道6号線を南下して、山元町に入ると消防署の前には、神戸や明石ナンバーの最新式の消防車が何台も応援に駆けつけていました。自衛隊の車両が急に増え、国道沿いに子供連れのお母さんが、「自衛隊の隊員さん、ご苦労様です」という手書きのプラカードを持って、自衛隊員にエールを送っています。

村役場に着くと、建物の前に自衛隊の装甲車、医療用のトラックが陣取り、駐車場にはたくさんのジープと自衛隊員がいました。装甲車の前には「第一大隊指揮所」という看板が立てかけてあります。震災後1ヶ月たっているのにこの風景には、ただならぬものを感じました。

被害の状況

役場の駐車場で、役場に話をつけてくれた菊池さんと落ち合って、お話を聞かせてもらいました。
菊池さんはイチゴ農家をされており、畑と家は海の近くにありました。津波警報が出てからすぐに、家族全員で逃げたので御家族は無事でした。しかし、畑は塩水につかってしまい数年間使えない。納屋と作業場が流され、母屋は破壊されて住めないので、山元の避難所に10日ほどいた。その後、仕事仲間の岩沼の菊池さんの家にお世話になっていたとのことでした。

はじめにボランテイア登録をして下さいと言われ、自衛隊の指揮所のとなりにある町役場のテントに行って登録をしました。

登録しているときに、町役場の人に被害の状況を聞いてみました。
すると、山元町は津波による被災した面積が日本で一番広く、1万7千人の町民の3分1が家を失い、被災した率も日本で一番高い。死者が600人、行方不明者は200人ほどいるが、死者の数が他の地域に比べて少ないので、マスコミにもほとんど取り上げられずに援助が遅れている。
また、6号線を南に下ると、福島原発のある大熊町や双葉町、南相馬市などがあり、東京からの物資が直接届かないので物資も不足しているとのことでした。

避難所の様子

役場では、山下中学校の避難所に行って下さいと言われたので、中学校に向けて移動しました。山下中学校に着くと、隣の小学校の校庭には自衛隊のテントがたくさん並んでいました。
大きなカーキ色のテントが、災害用のお風呂のテント。その隣には休憩所のテントと、通信用のトラックが衛星回線の電話のサービスをしていました。その隣の大きなテントは病院で、カーキ色のトラックは手術室、炊き出し部隊も他にいるとのことでした。

ここの避難所は、運営を被災者に任せているので活気がありました。一人一人に仕事が割り当てられていて、至る所で被災者によるミーテイングが行われ、避難所の運営について避難者自身が話し合っていました。

その日は、被災者の企画で散髪のサービスがあり、教室や屋外で10人ほどのボランティアの美容師さんが、お湯を湧かしながらテキパキ働いていました。ガスが出ないのでお湯が足りなくなると『水でもいいから洗って下さい』と言って寒空の中洗髪してもらっている人もいます。被災地では、何日もお風呂に入れなかったので皆さんうれしそうです。

焼き芋の準備を始める

9時頃から焼き芋の準備を始めると、ベニャミンはお祈りを始めました。その日は小雨がぱらついていたので、校舎と校舎の間の広い屋根つきの通路に陣取りました。
芋を焼いていると、10歳ぐらいの人なつっこい男の子が、釜に薪をくべる手伝いをしてくれました。いつまでも手伝っているので「お父さんとお母さんは心配しないの」と聞くと「お父さんは津波で被害を受けた会社へ、お母さんは地滑りで傾いてしまった家の片付けにいっている。いつも朝早く出て行って、夜の12時すぎに帰ってくる。でもおじいちゃんとおばあちゃんも避難所にいるので心配ないよ」と言います。

他にも親が片付けに出ていている子供達が、遊びに飽きると手伝いに来ました。まだ皆に配っていないから内緒だよと言って焼き芋をあげると、時間をかけて大切そうに食べている姿が印象的でした。

大人気で3時間待ち

1時から焼き芋を配り始めると、長蛇の列ができ、10分ほどで売り切れてしまいました。そこで、焼きあがった頃に来てもらうために予約を取ると、4時まで予約で埋まってしまいました。

もうこうなるとただひたすら焼くしかなく、焼き芋屋さんもベニャミンも一生懸命焼いています。ベニャミンはっしょっちゅう釜の様子を見て、薪をくべたり木をひっくり返したりするので、焼き芋屋さんも感心していました。

山元町の被災の様子

その頃、武藤さんに岩沼市のボランテイアの団体から電話が来て、家いっぱいに溜まった援助物資の服を、夕方の6時に引き取りに来てくれるというので、避難所は焼き芋屋さんに任せて、夕方には岩沼に戻ることにしました。

避難所を出て海岸沿いの道を走っていくと、道路が津波で流された家にブロックされて、通れなくなっていました。周辺の家も破壊されたままになっていて、手つかずの家がたくさんありました。もう夕方ということもありますが、人影はほとんどありませんでした・・・。

がんばれ岩沼

武藤さんの家に着き、スーパーからもらった支援物資の衣類の片付けをしていると、「がんばれ岩沼」というボランテイアの方が、服を引き取りに来てくれました。岩沼駅前の事務所には、今でも毎日50人以上の人が服を取りに来るとのことでした。

さっそく4トントラックに荷物を積み込みはじめたのですが、すぐに荷台がいっぱいになってしまい、3往復して運んでもらいました。これでようやくゴミ屋敷のようになっていた部屋がきれいにかたづきました。

ボランテイアの方は、まだ服は必要だと言われるので、これからも持ってくると伝えました。

これさえなければ

ベニャミンの場合一つだけ欠点があります。それは車の運転です。
その日の夜8時半頃出発して、東北自動車道を東京に向けドライブしていきました。ベニャミンはいつも飛ばすうえに車間距離も取りません。そのうえ疲れているので、運転しながら時々目をつぶります。さすがに怖くて注意すると、わかったといって車間距離を開けます。しかしすぐ元に戻ってしまうので、はっきりと伝えることにしました。

―「私はあなたのことをすごく尊敬しているが、一つだけ尊敬出来ないことがある。それは車間距離の取り方が短すぎることだ」
「オーケイ、わかった」
―「いやわかっていない。ユダヤ教では危険なことをしていけないという戒律があるが、あなたはその戒律を破っていることに気づいていない」
「オー、アキ。あなたの言うことは正しい。これからは気をつけるよ」
と言って車間距離をとるのですが、1分もしないうちにまた車間距離は一〇メーターを切っています。また言っても同じことが起きるので、あきらめて運を天に任せることにしました・・・。

そして、ベニャミンの獅子奮迅の働きを神様が見ていて、事故が起きそうになっても奇跡を起こしてくれるから大丈夫、と自分に言い聞かせて寝ることにしました。

ベニャミンの原点

ベニャミンの原点は、ユダヤ教のハバートという宗派の考え方にあります。ハバートの特徴は、年が若いラバイを世界中に送り出して人助けをさせることです。若いので経験がなく、志とエネルギーだけではじめていきます。
彼らの特徴はとにかく行動すること。ベニャミンの行動の原点は、彼の師であるラバイ シニアセンの世界観と、ハバートムーブメントの結果だと思います。

あるときエフラットさんに「ユダヤ教の教えを、わかりやすく説明してもらえますか」とたずねると、「自分が人からされて嫌なことを人にしないこと。そして、正しい行いをすることです」と答えてくれました。

ベニャミンはつねに、正しい行いをしようと思って生きています。彼は、困った人がいるとすぐ助けに行きます。初めは理解されないこともありますが、時間がたつにつれ、困っている人から頼りにされ、感謝されていることがわかってきます。
そのような彼を見ていると、自分達も何かしようという心境になり、周りの人々が次々と彼に巻き込まれて行動し、最後にはみんなに引き継がれていきます。

ベニャミンに巻き込まれると・・・

ベニャミンは数ヶ月前までは、週に3〜4回刑務所に行って支援活動をしていました。私と妻もその支援活動に巻き込まれて、無実の罪で2年間も拘留された結果、心の病気になってしまった方を支援するために、小菅の東京拘置所に毎週面会に行くようになりました。
その女性は2審で無罪判決を受けました。弁護士さんは、このようなケースで無罪判決が出るのは1%以下だと言われるので、その判決には支援していた私たちも驚きました。
その方は晴れて拘置所から出て、新たな人生を送っております。そのような現場に、ベニャミンが立ち合わせてくれました。

今回もまた、ベニャミンに巻き込まれて、東日本大震災の被災者支援について行き、たくさんのことを学ばせて頂きました。被災者の方と触れ合う中で感謝され、学ばせて頂いた事に感謝し、それらの学びをニュースレターにしました。そこで皆さんに、ベニャミンの支援活動への寄付を募ったところ、十数人の方が協力して下さいました。
また妻は、ベニャミンがいつも避難所に行くのに影響を受けて、西東京にある味の素スタジアムの避難所に行って、子供たちにアートを教えてきました。そこで調布市のボランテイア団体に登録をして、次は自分のアートクラスの生徒さん達と、一緒に行く予定をしております。

ベニャミンに影響を受けた私たち夫婦が行動して、その友達も巻き込まれていく。その友達からまた善意の輪が広がっていく。そのようなことが、ベニャミンに関わるたくさんの人の間で起きています。

ベニャミンは、一人の人間が真剣に動けば、社会が変化していく可能性を示している。それは、私たちが与えられた現実の中で真剣に生きれば、必ず道は開けることを教えてくれているように思います。

これからの支援

大震災から1ヶ月経ち、避難所から仮設住宅へと移る方も出てきました。被災者の生活の場が変化しつつあるので、ベニャミンにこれからどう支援していくのか話を聞いてみました。

―「これからの支援はどのようにしていくの」
 「みんなが仮設住宅に移ったら、今度は仮設住宅に食べ物や生活必需品を届ける」
―「いつまで支援を続けるの」
 「被災者に支援が必要なくなるまで」
―「でもそれがいつになるかわからないじゃない」
「困っている人を助けるのは神の意志だから、困っている人がいなくなるまでやる」

これからも彼は被災者の支援を続けていくことでしょう。初めはベニャミンと武藤さんの2人で始めた支援が、1ヶ月後にはとても大きなものに育っていきました。

その後も、彼の活動を聞いたイギリス人が、船便でペットボトルの水を80トン分送ってくれることになりました。また、イスラエル、アメリカ、シンガポールなどの国々から多額の寄付を下さる方がいらして、そのお金で支援物資を買って運び続けています。

これからも、彼が動き続ける限リ皆さんが巻き込まれ、支援の輪がどんどん広がっていくのではないかと思います。

被災者のための寄付金集め

ベニャミンは、「これからは家を建てるためにお金が必要になってくるから、被災者のためにお金を集める」と言っていました。
実は地震が起きる数ヶ月前、困った人をサポートする、ハバートハウスのセンターを品川に作るために、ビルを買うと言っていました。そして、お金の当てもないのに、半年後には2億4千万円支払う契約を結び、手付金を1000万円支払っていました(もちろん信者の寄付です)。

そして、地震が起きる前は世界中を飛び回って、ビルを買うための寄付を募っていました。ですから、そのプロジェクトの為にもお金は必要です。そこでどうするのか話を聞いてみると、「今は地震と津波で困っている人を助ける、品川はその後だ」と言います。

でも、今回の彼の行動を見ていた人々から、品川のプロジェクトにも寄付金が集まってしまうような気がしてなりません。

今回で、本に載せる分の原稿は終わりです。先日編集者に原稿をお渡ししたので、あと3〜4ヶ月で出版になります。今まで付き合ってくれてありがとうございました。今後もベニャミンについては面白い話があれば載せていきます。

*寄付のお願い

ベニャミンさんの支援活動は、皆さんの寄付によって成り立っております。ベニャミンさんをサポートしてくださる方は、ベニャミンさんの教会、ハバド ハウスに御寄付いただけるとありがたく思います。
またベニャミンさんは、皆さんの周りでご理解を得られそうな方に、お話いただけるとありがたいと申しておりました。よろしくお願いいたします。

受付方法: 下記口座への振込をお願いいたします
義援金振込先口座
東京三菱UFJ銀行 大森支店(普通)1258988
チュウカンホウジン ハバド ハウス オブ ジャパン
〔ベニャミンさんの教会の口座です。ATMによっては、
チュウ)ハバド ハウス オブ ジャパンと表示されます〕
   
受渡先:

143−0023 東京都大田区山王1-25-18
ハバド ハウス代表:ラビ ベニャミン(ビンヨミン)エデリ
TEL:03-3772-7707
http://chabadjapan.org/blog_e/welcome-to-chabad-tokyo/

*先日、インド、スリランカ、オーストラリア、フィリピンから、ハバートハウスのラバイさんが、十人ほど日本にいらして、皆さんで南相馬市の避難所へ行き、ハーゲンダッツのアイスクリームを2000個差し上げてきました。地震後はじめてアイスを食べたと泣いて喜んでいた方もいらっしゃいました。

その後、津波の犠牲者と原発が落ち着くように祈りを捧げ、東京に戻ってハバートハウス アジア地区の会議をして、今後どのように被災者をサポートしていくかを話し合いました。また千葉刑務所へ慰問にも行きました。

インドから来たチーフラバイは、「日本では誰もユダヤ教を知らないから、ベニャミンのようなクレイジーなラバイが必要なんだ」と話してくれました。
詳しい様子をご覧になりたい方は
http://chabadjapan.org/blog_e/
をご覧下さい。

その後もベニャミンは、花やハーブを仮設住宅に届け、5月22日には、岩沼市の仮設住宅で避災者のためにバーベキューをやる予定です。私たちもその日には行って、妻はバーベキューの近くで、アートのクラスをやる予定をしています。
ベニャミンは、バーベキューの人手は、現地の人が手伝ってくれるので十分足りていると言っていました。もしご関心のある方がいらっしゃいましたらご連絡下さい。

お知らせ

免疫療法の勉強会のお知らせ

病気の原因の9割は、“活性酸素”が関与していると言われています。老化をはじめ、シミ、そばかす、動脈硬化やガン、糖尿病、生活習慣のもととされる”活性酸素”と、それを除去する“SOD”とは何かということについての勉強会です。
SODの療法は、体の中の免疫の働きを高めてくれる、副作用の少ない治療法で、土佐清水病院の丹羽博士によって開発されました。
例えば、放射線等が体内に入ると、水分子を分解して「活性酸素」が発生し、それが生体分子を傷つけていきますが、SODはこの活性酸素を除去してくれます。その他、活性酸素を発生させる物質としては、紫外線、タバコ、食品添加物、CO2等があります。

この講座では”活性酸素“対策や丹羽療法を、専任講師がスライド等を使ってわかりやすく説明し、個人的なご質問もうけたまわります。

日時: 5月13日(金)13:30〜16:00頃
6月10日(金)13:30〜16:00頃
会場: シテイ―音羽 2F会議室 東京都文京区音羽1−15−15
(地下鉄有楽町線、護国寺駅5番出口徒歩3分 ロイヤルホスト2F)
入場料: 無料
問合・
申し込み:
活性酸素研究会 03−5978−5008

*講師の森門さんのお話を一度聞いたことがありますが、活性酸素の話をさせたらこの人の右に出る人はないというほど博学で研究されています。健康について自己責任で管理されたい方にはためになる勉強会だと思います。
ちなみに、私の父は抗がん剤の副作用を抑えるために(抗がん剤は強烈な活性酸素を発生するため)SODと漢方薬とFALFさんを使わせていただいております。そして、このような便法を使いながら、本人や家族が病気のメッセージに気づき、気づいたことを実践していくことが大切なことでないかと思っております。

足立幸子原画展
日時:4月29日〜5月22日 10:30〜18:00
場所:山形県天童市広重美術館
主催:KIOLE
詳しくはhttp://www.kiole.net/をご覧下さい

とびら交流会
日時:5月29日(日)13:30〜16:50
場所:県立武道館 1階研修室(1)
主催:とびら

詳しくはhttp://www16.ocn.ne.jp/~tobila/index.htmlをご覧下さい

愛知交流会
日時:5月29日(日)13:00〜16:00
場所:名古屋会議室
主催:井上、羽田野詳しくはhttp://www.yobou.org/aichi.pdfをご覧下さい

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